COLUMN of KEIKO KUREBE

暮部恵子のおしゃべりコラム

先日、和歌山女子刑務所の看守長のお話を聞く機会がありました。
とても興味深いお話でした。
この方は、ご自分もやんちゃな少年時代を過ごされ、その時出会った熱血漢の保護司の先生に触発されご自分も少年の更生の仕事をしたいとその道を選ばれたそうです。


昔の非行少年は話せばわかるので考え方を変えることが出来たが、最近の犯罪を犯す少年は昔と違って小さい時から虐待をうけ親の愛情を知らずに育ち、少年院の中でも集団の中に入っていけない子が増えてきているため、とても複雑な状態になっているそうです。


そこで、なんとかこの状況を変えていくため、その子たちを集めて特別学級を作りました。
コミュニケーションが取れない子たちに協調性や共感性を身に着けさせようと、シンクロナイズドスイミングを教えはじめました。ほとんどの子がまともな教育を受けていないので泳ぐことすらできない、その子たちを3か月間一日も休まずにプールで指導をし、チームを作ってシンクロが出来るまでに育て上げたそうです。

この熱血先生とシンクロチームのお話は、テレビや新聞にも少年院のウォーターボーイズとして話題になったのですが、この感動のVTRを拝見することができました。


今の教育現場にこれだけ熱い先生がおられるのでしょうか。
教育とはまず親がしっかりと抱きしめて愛情を注いで育てることから始まり、それから地域と一緒に幼稚園、保育園で集団で何かをする事を学び、就学し小中学校で教育の基本を受ける。その当たり前の事が子供たちに欠けているのではないかと思います。全てではありませんが、非行に走る子供は親に問題がある場合が多いそうです。

その親たちも子供の頃両親の愛情を受けずに育ったのでしょう。

少年法が変わってこれからはその親も一緒に刑務官が指導が出来るようになったそうです。

少子化の時代、皆で子供を見守り育てるという事がより必要になってきているのでしょう。


今、この先生は和歌山の女子刑務所におられます。
その実態もたいへん深刻な状態です。
日本で2番目に大きな女子刑務所で500人収容の所に560人入っていてすし詰め状態で、刑務官が170人で足りない状態。女子の犯罪が増えていて女子受刑者はこの10年で3倍。平均年齢47歳、覚せい剤や窃盗などが主で、再犯者も多い。


19歳から最高齢は91歳までいて60歳以上が4分の1。高齢化、老人ホーム化している。
一般社会に戻っても居場所がなくて窃盗などを繰り返し、戻ってくる。
一番多い人で15回も戻ってきている。ある意味ここの方が孫のような刑務官(平均25歳)に世話してもらい、軽度の作業をこなせば芸能人のレクリエーションなどもあり食べる心配もないが、これらはすべて税金で賄われており、一人にかかるお金がかかりすぎなのが現状です。という深刻な話でした。


様々な解決が難しい問題がある社会になってきていると感じました。
私が師と仰ぐ西端春枝先生は、この女子刑務所
の篤志面接員で月に一度訪問され受刑者にお話をされています。

94歳にしてこの仕事が今一番やりがいがあるとおっしゃっています。
先生のお話を聞かれて一人でも多くの方が更生されるのを願ってやみません。

8月2日におばあちゃんの101歳のお誕生会をしました。

丸いケーキに1と0と1の数字のろうそくを立てお祝いをし、

数字が3本立つのも珍しいケーキやなぁと皆で喜んでおりました。

私の娘がロボットの猫をプレゼントしました。頭をなでるとミヤァーと鳴き、

しっぽを触るとブルブルブゥと怒ります。

猫好きなおばあちゃんはにっこり笑い、『名前何にする?』と聞くと自分で

『ミーちゃん』と名付けました。

みんなが集まってのお祝いに終始ご機嫌な様子でした。

実は、今年に入って体調を崩し、一時はもうだめかな…と思うほどに弱っておりました。

一時期、家ではリハビリも出来ないからと、施設に預けて土日だけ連れて帰って

いたのですが慣れない場所にストレスがたまり、物も言わなくなりお念仏三昧、

『お迎えが来ています…』とぶつぶつ言い出して歩くことも不可能なほどの状態に、

どうしたものかと思っておりましたが。家に帰りたいのだろうという事で、

自宅介護に切り替えました。

 

4月ごろは、孫やひ孫がお見舞いに来ると、『お世話になりました。幸せになりや…』

と皆にお別れの言葉とも思えることを常に口にしていたのですが、

誕生日までは頑張らないとと、本人を励まし介護用品も何かと取り揃えての

日々が始まりました。

主に主人が家に居ますので看てくれており、施設からも午前、

午後と来ていただきながらの介護。夜は主人と二人で車いすに乗せて

リビングまで連れてきて一緒にご飯を食べます。一人では食べられませんが、

食欲も旺盛でおやつもしっかりといただき、好きな物の時には大きな口を開けます。

今まさに食べることがいかに体にとって大事な事かを思い知らされています。

4月は葬儀の覚悟を決めましたのにそれから4ヶ月、

だんだんに元気になってきて昨日などはご飯の後、

桃とプリンを食べ、まだアイスまで食べたいとまで伝えてくるほどに。

 

人間ってすごいなぁとおばあちゃんの世話をしながら感動することがあります。

100歳を超えても、復活する力があるのだなぁと。

介護士の方や、病院の先生、家族や周りの方々に支えられ、幸せなおばあちゃんを見ていると、

こちらまで幸せな気分になります。

一日の食事や排泄のリズムも出来、穏やかな日々が続きます。

次は102歳、まだまだ頑張ってね、おばあちゃん。

九州の宮崎で発行されている新聞です。週に一回発行されます。発行部数は9000部になりました、と先日ご主人が編集長である松田くるみ社長からお聞きしました。500部の発行から始まり、来年は25周年、口コミだけで広まった新聞です。私の周りでも随分読者が増えました。


読んでいる人が集まる読者会が先日奈良で初めて行われました。5~6年前に大阪で読者会に出席したことがあるのですが、その時松田くるみさんは発行部数は3000部だとおっしゃっていました。それで経営が成り立つのかな…と思ったことを思い出します。わずか5年で3倍に!!

記事はあちこちで開かれる講演会の中で面白かったもの、感動し

たもの、心温まったもの、ためになったもの等を講演の先生の許可を得て掲載していらっしゃる新聞です。私もよく存じ上げている先生方の講演もたくさん載っています。ですからこの新聞にはいい情報しか載っていません。

 

 

20年前に、大阪で「いい話の新聞」という新聞が発行されました。世の中の新聞は暗い話ばかりなので、元気になるいい話ばかりを載せたいとの思いからです。この新聞もとっていましたが、社長が亡くなられて廃刊になりました。同じころに宮崎でも同じ思いでいい新聞が出来ていたのですね。

編集長は読者会の講演の中で、『今、共感の時代です。感動を共感できる新聞を作る』と言われました。人は感動を

共有できると幸せを感じその人を好きになる。そして命を輝かせるためにまず自分を好きになる。自分のことが大好

きな人は、自分を育てた親に心から感謝できる、今の環境、職場、家庭に感謝できる。自尊感情が大切とも話されていました。毎回載る“魂の編集長”の社説が秀逸で時に涙して読むこともあります。その社説が本になり『日本一心を揺るがす新聞の社説』という本になって発行されています。

奈良の読者の中では私が一番古いらしく、最後のご挨拶をさせていただきました。お集まりの皆さまも、さすがと思える素直で明るくて前向きな方たちばかりでした。いいものの連鎖はいい人につたえられ本当にこの新聞を読む人が10万人になったら世の中を大きく変える力になると思います。皆さん口コミで読者を増やしていきましょう、とお話しさせていただきました。

この新聞のいいところは、暮部に聞いたから見本誌をくださいと言うと、宮崎中央新聞より一か月無料で送ってくれます。そして読みたくなったらとればいいのです。ひと月1000円。お財布も心も喜ぶ値段です。新聞をとっている家庭が少なくなっていますが、みやざき中央新聞は是非読んでいただきたいですね。

『日本で一番大切にしたい会社』という本を4冊、その他『小っちゃいけど、世界一誇りにしたい会社』等、企業紹介のベストセラーを書いていらっしゃる、法政大学教授の坂本光司先生が、クレコスへお越しくださいました。

先生は今まで7000社以上の会社訪問をされ、様々な会社の紹介をされ、ご講演も日本全国でされてらっしゃいます。私も4回ほど聞かせていただきました。

 

とても気さくな先生で社員と一緒にお昼のお弁当をいただきながら、皆で楽しい時間をすごさせていただきました。先生の企業経営の定義とは、会社に関わる全ての人々を幸せにすること。企業にとって重要な5人とは

  • 1:社員とその家族
  • 2:関連会社とその家族
  • 3:現在顧客と未来顧客
  • 4:地域住民とりわけ障がい者や高齢者など社会的弱者
  • 5:株主、出資者 
  • であるとおっしゃっています。

 

 

そのこともあり、先日先生にお目にかかった際に、クレコスのQUONプロジェクトの取り組みをお話ししまし所

興味を持っていただき、今回わざわざお訪ねくださいました。​

特に、新潟のあおぞらポコレーションさんをはじめとする、障がい者施設とのかかわりは、身内に障がい者がおられる方などの場合が多いのに、そういう事でなく様々な事業を立ち上げているのは、会社として素晴らしい取り組みですね、とお褒めくださいました。​

 最近、様々な経営に関するお話を聞くにつけ、皆さんがおっしゃることは

『物を売るのではない、「事」を売る、あるいはその物の背景にどんな「物語」があるかを語るのです。』

です。例えば今世の中に様々なものがあふれかえるほどあります。ただその中でどれを選ぶかの基準が変わってきたのです。

特に東北の震災以降人々の価値観が大きく変わり、品物は世の中にあふれていて物が欲しいのではなく、その品物を買う事でどんないい事があり、どんな幸せな気分になり、世の中のためになるか、という基準でものを選び始めているのです。

先日社員のエクスペリエンスマーケティングの勉強会で次のような仮説を立てました。

『お客様はクレコスを欲しいと思っていらっしゃるのではない。女性として身も心も美しく豊かになりたいのです。それによって人にも自然にも社会にも優しいときを過ごし魅力的なライフスタイルを手に入れていきたいのです。』というものです。

そのためにクレコスは、想いをこめた商品と素敵な物語を提供し続けてまいります。

 

クレコスにはアルデバラン株式会社という関連会社があります。

クレコスの副社長 暮部達夫が社長をしている会社です。

ここでは、原料を扱ったり、商品づくりのご相談に来られた会社の

お手伝いをしております。

クレコスも少しは名前が知られるようになり、様々なご相談が寄せられます。

そこで副社長、いや社長(アルデバランでは社長)は大変忙しくなり、

奈良は勿論、新潟始め東京、北海道、愛媛、滋賀、など

全国で様々な企画のお手伝いをさせていただくようになりました。

小さな事務所を大阪に持っていたのですが、手狭になりこの度御堂筋のすぐ西側に引越しをしました。

少し大きな事務所になりましたので、クレコス大阪事務所も兼ねまして看板をだしております。

 

事務所のあります御堂筋界隈は作られた時には当時の関市長が

あまりに広い道路の建設を計画し飛行場を作る気か!と非難を受けたと聞いておりますが、

その広い御堂筋は今では一方通行の6車線で北の梅田から南の難波まで一直線に伸びた、

イチョウ並木のきれいな道路です。

高さ制限もあり、道端には様々な彫刻などのアートが展示され、

心斎橋辺りは世界の高級ブランドのお店も軒を並べなかなか素敵な街並みになっています。

 

またビルの合間に北御堂、南御堂という浄土真宗の大きなお寺があり、

その昔近江出身の商人たちが集まり大阪商業の中心である船場の街を築きました。

ここで働く商人たちは「御堂さんの鐘の聞こえるところで商売を…」を合言葉に商いに精を出しました。

曾祖父にあたる人も近江の出で、船場の呉服問屋の大番頭をしていました。

暮部の祖父も祖母も船場の商家の生まれです。

その血を受け継いだが御堂さんの鐘の聞こえるところで会社を持った事を

ご先祖様は喜んでいらっしゃることでしょう。

 

すぐ近くに難波神社という神社もあり、ここには先の大戦でも焼けなかったという

樹齢400年の楠の御神木がそびえ、この木肌に触るとパワーがもらえるという

スポットになっています。

 

御堂筋を車がひっきりなしに通るのですが、ここが商都大阪のど真ん中か…

と疑うような静かなお社です。

皆さんも御堂さん、難波神社へのお参りでもいかがですか?